音楽

思い出のベートーヴェン第9交響曲のLP

偉大なベートーヴェンの第9交響曲について私が誰の演奏がよいと言っても、全く意味がないことは分かっているので、思い出のある演奏録音をあげることにします。

Photo この曲も、中学生の時にLPを購入して聴きました。ピエール・モントゥー指揮、ロンドン交響楽団、ロンドンバッハ合唱団、エリザベート・ゼーデルシュトレーム(ソプラノ)、レギーナ・レズニック(コントラルト)、ジョン・ヴィッカース(テノール)、デーヴィッド・ウォード(バス)の演奏によるLP1枚もので、第3楽章の途中からB面になっています。1962年録音です。箱に入っていて、10ページほどの解説書とリハーサルを録音した小さなレコードも付いていて、当2 時、1,500円程度の廉価になっていたと思います。それ程のキャンペーンで発売されたのですが、フランス人指揮者とイギリスのオーケストラの組み合わせですので、果たしてどれだけ売れたことやら。リハーサル風景の録音を聴くと、時々フランス語の発音が混じる英語でモントゥーが、音のキレ、間(ま)を取り過ぎないこと、楽器間の音量バランス、抑揚等に注意を与えています。解説書を改めて確認すると、楽器配置がユニークです。
録音された演奏は、しっかりとリズムが刻まれていて、ゴツイと言うほどではありませんが、”芯”のある演奏です。解説書を見ると、かなり録音に配慮したようですが、出来上がったものは、正直あまりぱっとしない感じです。今聴くと、かなり聴き応えのある演奏ですが、当時の私は物足りなさを覚えました。
モントゥーとロンドン交響楽団の演奏録音は、良いものが残されていると思います。
(実は、今朝、Abendさんのブログを覘いたところ、モントゥーの名前が出て来たので、慌てて見るのを止めて、このブログを書いた次第です。これから、恐る恐る、Abendさんのブログを改めて拝見して来ます。)

Photo_2 少し後に、カラヤン指揮、ベルリン・フィル、ウィーン合唱協会、グンドラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)、ヒルデ・レッセル=マイダン(アルト)、ヴァルデマール・クメント(テノール)、ヴァルター・ベリー(バリトン)のLPを買いました。これも1962年録音です。当時の私には、こちらの演奏の方が、第9を聴いたという満足感を持てました。
ところで、カラヤン1966年録音のベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」は、演奏、録音とも素晴らしく、私の好きなものですが、そこでは、テノールのヴンダーリッヒが素晴らしい歌声を聴かせています。上記のカラヤンの演奏録音で、もしヴンダーリッヒが歌っていたらと思うことがありました。そこで、数年前にヴンダーリッヒが歌った第9の録音を探したところ、クレンペラー指揮で歌った1960年のライブ録音があることが分かり、CDを入手しました。しかし、ここでのヴンダーリッヒは、必ずしも調子が良くなかった様です。本当にヴンダーリッヒが歌っているのか、よく分かりません。

上記のLPをしばらく聴いた後、フルトヴェングラーの有名なバイロイトでの録音や、その他いろいろ聴きました。テレビやラジオでも聴き、国内の演奏会でも聴き、次男がアマチュアオーケストラと一緒に歌っているのも聴きました。
「友よ」と歌うとき、”友”は世界中の人のことなのか、所謂ドイツ人を指しているのか等の話も、雑誌で読んだことがありました。

やはり、この曲にも、いろいろ思い出がありますが、最初の思い出は、上記のモントゥーのLPを聴いていた時、隣の部屋にいた母が、「いい曲だね」と言ったことです。
明日の月曜日から土曜日まで札幌に行って、その母の顔を見て来ます。

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ドナ・サマー

Photo アメリカの歌手、ドナ・サマー(Donna Summer)が5月17日に亡くなりました。1948年12月31日生まれ、63歳でした。私が30年ほど前にアメリカに2年間いたとき、テレビで“She works hard for the money”のプロモーションビデオが流れていた様に記憶しています。この人のリズムに乗った力強い歌声は、当時まだ若かった小生の気持ちに響くものがあり、また、その時の小生の目を通して見たアメリカの印象にも相応しいものでした。

2 日本に帰って来てから、ドナ・サマーのLPを求めましたが、今手許に6種類のアルバムがあり、その中に、上記の曲の入ったものもあります。曲名とアルバムのタイトルが同じになっていて、日本語では「愛情物語」となっていますが、あまりピンと来ません。しかし、「彼女は必死に稼ぐ」や「稼ぎ女」では、もっと駄目でしょうから、いっそ英語のままでよかった様に思います。そのLPジャケットの両面の写真を掲載します。アメリカのカフェ・レストランの光景を思い出します。

アメリカから帰って来てから13年ほどした時に、仕事でニューヨークに行って、向こうの人とカフェ・レストランで打ち合わせをし、小生が支払いをしたのですが、見事にチップを置くのを忘れました。小生に代わって仕事相手の人が払ってくれましたが、結果的には、それくらいして貰ってもいいところでした。と言うのは、食事の前まで、この人の昔のガールフレンドが代役で主役をやるので付き合ってくれと言われ、ブロードウェイでミュージカル「美女と野獣」を鑑賞し(小生分のチケット代は小生で払い)、さらに公演の後、楽屋裏のドアが中から開くのを待ち受けて中に入り、その女性に挨拶するのまで付き合わされたからです。この人は弁護士で、数年前、環境関係の話題でホワイトハウスの所でインタビューに答えている様子が、一瞬テレビに流れたと記憶しています。まったく世間は狭いものです。

ドナ・サマーは、1990年代途中からナッシュビルに住んでいた様ですが、ここは小生が留学した学校のあるところです。私は、音楽の勉強ではなく、金属材料の破壊とか、材料科学の勉強をしました。もっとも、日本に帰ってからは、その方面の仕事はしなかったので、一体あの勉強は何のためだったのだろうかと思ってしまいます。
先日、留学先で一緒だった日本人と会い、数年前から日本を本拠地にして仕事を行うことになったとのことでした。確かに、友人は得られました。
どうもこれまで小生の身に関しては、必要以上も必要以下も無いということが多く、変にバランスが取れているのが不思議なのですが、この夏頃から、またちょっと仕事面がタフになりそうな不穏な気配を感じています。もしかすると、この4月からの数ヶ月間は、取り敢えずの休息期間になってしまいそうな...

それにしても、訃報に接する度に、月日とともに周囲の顔ぶれが変わって行くことを痛感します。

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ベートーヴェンの交響曲第8番:印象に残っている演奏録音

ベートーヴェンの交響曲第8番は、第4番と一緒になっていたブルーノ・ワルター指揮/コロムビア交響楽団(1958年録音)のLPで聴きました。やはり、中学生の時です。当時、演奏がどうのこうのと言うのではなく、兎に角、ベートーヴェンの交響曲第8番がどんな曲なのかを知ろうと、必死に聴いていたのだろうと思います。

久し振りに上記の演奏録音を聴きましたが、改めて、大変素晴らしい演奏であると感じました。強弱、緩急、間の取り方、リズムの刻みの優雅さ・・・どれをとっても味があります。この歳になって、分かるものがあります。つまり、楽譜には書かれていない、演奏者独自の解釈があって、それも聴く楽しみになっています。40年以上前にクラシック音楽愛好家によく聴かれていたこの演奏録音は、今はもうあまり聴かれていないのでしょうか?

他に印象に残っている演奏録音として、ピエール・モントゥー指揮/ウィーン・フィル(1960年録音)のものがあります。このパリ生まれの指揮者とウィーン・フィルの演奏は、どうもサウンド的にしっくり来ない感じが付きまとうのですが、この曲に関しては、サウンドのことは忘れて、指揮者の特徴が何とか表れていて、面白く思います。例えば、第1楽章の終わり、音を絞って行き、ヒョイと終わるところは、各楽章がそれぞれ寸劇にでもなっているかのようで、登場人物が袖にさっと隠れるような粋の良さを思わせます。

Photo 比較的最近ですが、マルケヴィチの指揮した演奏録音を集めていたことがあり、1960年代の録音だと思いますが、LPを入手しました(写真)。リスムの刻みやフレージングが極めて明確になっていて、結構激しい演奏になっています。この演奏の後に上記のモントゥーのものを聴くと、モントゥーのは、ゆるーく感じてしまいます。マルケヴィチの深い読みと、実際にそれを緻密に音にすることが出来る能力の高さに圧倒される思いです。

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ベートーヴェンの交響曲第7番の演奏録音

Photo ベートーヴェンの交響曲第7番のLPを買ったのは、小生が中学生の時でした。本で調べて、推薦盤となっていたカラヤン指揮/ベルリン・フィルの輸入LPを求めました。元気の良い賑やかな曲ですので、当時若かった頃、繰り返し聴いたのだったと思います。そして、すっかりこの演奏が、頭に刷り込まれてしまいました。今聴いても、一番しっくり来る演奏だと感ずるのですが、聴き手を意識している様な、“解釈”というより“演出”という表現に近いものも感じます。全てが“丁度よく”スマートに演奏されていて、アレッ?というところが無いので、そう感じてしまいます。

第3番の時と同様に、これも最初の和音の響きに拘って演奏録音を探したことがあります。響きがどこまでも広く大きく、まるで宇宙に拡がって行くようで、そして、その響きが戻ってくるような...いろいろ録音を聴きましたが、そのようなものには、未だ廻り合っていません。
最初の和音の響きだけでも、それぞれの演奏録音に違いがあります。上記のカラヤン/ベルリンフィル(1962年録音)は、見事に一つのまとまった響きになっています。弦の響き、特にヴァイオリンの響きが目立つもの(クリュイタンス指揮/ベルリン・フィルや古楽器演奏のもの)、逆に弦を抑え気味なもの(ベーム指揮/ウィーン・フィル)がありますが、後者の場合は、旋律を奏でる管の響きを邪魔しない様にしているのかも知れません。ライナー指揮/シカゴ交響楽団の録音では、ヴァイオリンは抑え気味ですが、低弦が強く入っています。この様にすると、管の響きをあまり邪魔しないのかも知れません。弦の力強い動きがとても印象的な演奏録音です。
あまりその様なことには頓着せず、その後の部分も含めてしっかりと和音を鳴らしているのが、コンヴィチュニー指揮/ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏録音です。
残響が程よく入っていて、私が探している響きに少し近い録音としては、コンセルトヘボウ管弦楽団によるものがあり、1985年録音のハイティンク指揮と1991年録音のザヴァリッシュ指揮のものは、共に似たような響きになっています。但し、録音会場は違っている様です。特にザヴァリッシュの演奏は、いかにも標準的な演奏という印象があり、私には好ましい演奏録音の一つです。
ワルター/コロムビア交響楽団の演奏は、弦はそこそこに強く弾いているのですが、音がはっきり聴こえて来る割には残響が多くて拡がり気味の録音が、管の音を隠れないようにしている感じがあります。ちょっと不思議な録音です。第2楽章や第3楽章の中の遅い箇所での、ちょっとしたフレーズの扱いに、この指揮者らしい表情が出ています。優しい歌い回しがあります。細かくリズムを刻む速い箇所にも、独特の表情が付いて来ます。第4楽章で、この指揮者にしては珍しく、ティンパニが目立って活躍していたり、加速が入ったりしています。この演奏録音は、このブログを書くために、改めて聴いたものですが、これはかなりの名演奏熱演です(今更ではありますが)。

第7番に関しては、小生は些か食傷気味で、最近はあまり聴いていないので、この辺にしておきます。

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モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」

20120504 昨日、最近庭に植えたピーマンの苗の1本が、朝は元気だったのに、夕方萎れてしまったので、変だなと思って、触ってみると、茎と根の間で千切れていました。家人が、多分黄金虫の幼虫に食べられたのでしょう、と言うので、掘ってみると、確かに一匹出て来ました。虫を取り除いて土を戻し、小松菜とレタスの芽を植えておきました。
雨上がりに、虹が出ていました。写真を撮りましたが、虹の部分への焦点の合わせ方がわからず、いろいろやってみました。
今朝、早くに起きてみてみると、別のところに植えてあったレタスの芽が七つ、なくなっていました。ナメクジに食べられたのかもしれません。その部分には、プランターの方から芽を移しておきましたが、これからもやられるのでしょう。本当は、もっと大きくなってから庭に移した方がいいのでしょうが、プランターの中が手狭になって来ました。

20120504_2 今、NHK・FMでモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」を放送してます。(フルート)エマニュエル・パユ、(ハープ)マリ・ピエール・ラングラメー、アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏録音です。パユのフルートは、響きも明るく、華がありますね。この曲を聴くたびに、昔、義弟の結婚披露宴で、同曲の第2楽章のフルートを吹いたことを思い出します。家人が、会場のエレクトーンを使って、自分で編曲してオケとハープの部分を受け持ちました。それまで、会場で演奏していたプロの人が、エレクトーンの音程を電気的に変えてしまったままにしていたので、(当然ですが)何度フルートの方で調整しても音が合わず、とても慌てました。途方にくれた頃に、その人が走って戻って来て、エレクトーンの音程を直してくれたので、何とか演奏することが出来ましたが、会場の人達は、私の演奏を聴かないで済んだ方が良かったかもしれません。それにしても、この曲は、明るくて気持ちのよい曲です。今まで、ランパル(Fl.)やトリップ(Fl.)の演奏録音で聴いて来ましたが、パユ達のものも、とても気持ちよく聴けました。写真のフルートは小生保有のものですが、現在持ちぐされ状態で、時々ケースから取り出して拭いています。

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ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』:好みの演奏録音、他

実は、sawyerさん 並びにAbendさん と一緒に、ベートーヴェンの交響曲全曲について、ほぼ同時にそれぞれのブログで、第1番から順に愛聴盤紹介を行っているのですが、今まで(第5番まで)小生が一番最後に記事を出していました。しかし、今回の第6番に関しては、小生が特に好んでいる曲であるため、先頭を切って出すことにしました(多分、このとき、小生が最初だろうと思います)。

ベートーヴェンの交響曲第6番は中学生の時にワルターのレコードを買って以来、特に多くの演奏録音を持っています。演奏の傾向としては、大雑把に3~4種に分けられると思います。

01 まず、ブルーノ・ワルター/コロムビア交響楽団(1958年録音)に代表される、この曲の持つ豊かな表情を、過敏にならない程度にバランス良く聴かせてくれるもの。クリュイタンス指揮/ベルリン・フィル(1957年~1960年録音の全集の中から)、ケンペ指揮/ミュンヘン・フィル(1972年録音)、マズア指揮/ゲヴァントハウス(1973年録音)、ザヴァリッシュ指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ(1991年録音)、ハイティンク指揮/ロンドン交響楽団(2005年録音)が同傾向で、すべて私には好ましく感じられますが、やはりワルターのものが、ちょっとした旋律の処理等に一段の魅力を覚えます。大体、この辺りの録音が基本的に私の好みです。

Photo 楽器の響きを楽しむという意味で、古楽器を使った演奏も聴きますが、その中にあっては、モニカ・フゲットとロイ・グッドマンが指揮したハノーバーバンドの1987年録音が表現に豊かさがあって好みです。楽器の響きという点で、大変ユニークなのは、コンヴィチュニー指揮/ゲヴァントハウス管弦楽団の1959年~1961年録音の交響曲全集に含まれているものです。LPをオルトフォンのカートリッジ(SPU)を使って聴くと、まるでバグパイプの様な鄙びた低Photo_6弦の響きが聴こえて来ます。余程古い楽器を使っているのかと思っていたのですが、この時の録音の影響があるようで、本当のところは分かりません。オケの音が素朴に録られているという点では、カイルベルト/ハンブルク州立フィルハーモニー管弦楽団の1960年頃の録音も同様あるいはそれ以上で、このような演奏録音も楽しめます。

ユニークな演奏という点では、爆演と言われることのあるシェルヘン指揮/ルガノ放送管弦楽団の1965年の録音があります。メリハリのはっきりした辺りは、まるで古楽器演奏の先取りかと思うほどで、途中、活発なところ(第1楽章や特に第4楽章)では指揮者のものと思しき声が大きく録音されています。第2楽章は意外とオーソドックスな演奏になっており、木管による鳥の鳴き声の場面では、テンポを緩めて、綺麗に聴かせています。しかし、この第2楽章の鳥の鳴き声の場面にPhoto_3 関しては、メンゲルベルク指揮/コンセルトヘボウの1938年の録音が、もっと徹底しています。まるっきりその部分だけ独立させていて、じっくりと聴かせてくれます。ここまでデフォルメされると、もう言うことなしであって、その“指揮者の解釈した音楽”を楽しむことが出来ます。しかし、楽譜を見ても分からないのですから、オケのメンバーも大変だったでしょう。

同様にユニークなもので、テンポの遅い演奏があります。実は一時期、田園に着いて気持ちが浮き浮きするのではなく、へとへとに疲れて田園に着き、暫くじっとしっている様な演奏を聴きたくなったことがありました。ただ単に第1楽章の出だしが遅いだけではなく、最初の4小節目のフェルマータの後、次の旋律が始まる前に休止を大きく入れるような演奏を探していました。いろいろ探しましたが、遅い演奏でも、休止が無いか、あっても短いものばかりで、なかなか欲しいものに出くわしませんでした。その間、意外とワルターのものに休止が入っていることと等、面白い発見をしました。そPhoto_4 して、出くわしたのが、ケーゲル指揮/ドレスデン・フィルの1989年、日本公演の録音です。音楽が止まってしまうかの様な、とても長いフェルマータ、そして休止。気を取り直して力を振り絞ったように演奏は続けられますが、感謝の気分のないままに演奏は終わります。この演奏の約1年後に、ケーゲルは自らの命を絶っています。この演奏の時は、精神的に病んでいたのではないかと思います。

Photo_5 上記の遅い、“疲れた”演奏を探していた時に、全く別なタイプのものに出くわしました。コリン・デイヴィス指揮/ドレスデン・シュターツカペルレの1992年の録音です。まるで、曲や音を慈しみ可愛がる様な演奏です。些か大袈裟に言えば、夢見るような気分の中の田園です。

以上の様に、この曲の演奏録音を集める中で、いろいろ経験しましたが、一つ不思議に思うことは、ウィーン・フィルによる演奏で、好みのものに出会わないことです。もちろん、割とよく知られた録音で、古いモノラル録音から比較的最近のものまで、ウィーン・フィルが演奏しているものを持っていますが、どれも私の好みとは言い難いようです。もちろん、指揮者に因るのでしょうが、このオーケストラの洗練された明るい響きが、私にとっての「田園」のイメージからは遠いのかもしれません。

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やはりフルトヴェングラー:ベートーヴェンの第5交響曲

私が、シューベルトの「未完成」と対になっていたベートーヴェンの交響曲第5番のレコードを入手したのは、小学校5年生か6年生の時でした。レコード批評の本で調べて、推薦盤となっていたブルーノ・ワルター指揮/コロムビア交響楽団のLPを、当時札幌の狸小路の5丁目の映画館のそばに在ったレコード店で買いました。このLPは、クラシック音楽のLPとしては、イ・ムジチのヴィヴァルディの「四季」と並んで当時のベストセラーでした。その頃、我が家には、コンソール型と呼ばれる、レコードプレーヤー、アンプ、スピーカーが一体となったビクターのステレオ装置があり、残響を付加する機能なども付いていました。スピーカーからの振動の影響を少なくするよう、プレーヤーはスプリングで本体と繋がれていました。カートリッジはクリスタル型と呼ばれるもので、高出力で扱いやすく、針交換も簡単なものでした。針圧が高いので、あまり繰り返し聴くとレコードが磨り減るのではないかと心配したものでした。実際、ドーナツ盤と呼ばれた45回転/分の小さいレコードでは、音が歪んでしまったものがありましたが、これは針交換をしないで使い続けた影響もあったのではないかと思います。こんな装置で、上記のワルターのLPを聴いていました。この時のLPは、雑音はありますが、特に歪みなく今でも聴くことが出来ます。

第1楽章:アレグロ・コン・ブリオ(元気に速く)
第2楽章:アンダンテ・コン・モート(易々と 感動して やや活発に/気楽にのんびりと)
第3楽章:アレグロ(速く)
第4楽章:アレグロ(速く)

Photo1958年録音のワルターの演奏は、第1楽章の最初の二つのフェルマータがとても長く取られています。録音に残響が多いので、それが効果的に響きます。後は、この凝縮した音によるドラマが、途中、第2楽章で少し緩む程度で、最後しつこく続く和音によるコーダまで、一気に進みます。このLPは、私にとってはクラシックの2枚目のLPで、思い出のレコードです。

最初は「曲自体が凄いので、どんな演奏でもそれなりに楽しめます」と書こうと思っていたのですが、偶々第4番を聴いてその後に続いて入っていた第5番を聴き、「ちょっとつまらない」と感じたものがあったため、それはなし。当然ながら、演奏に違いがあります。ニキシュ指揮/ベルリン・フィルの1922年の超古い録音から比較的最近のものまで(と言っても、21世紀になってからのものは持っていないように思いますが)、とにかく30種類前後の演奏録音が我が家にあります。
トスカニーニ/NBC交響楽団の演奏(1952年録音)は、中学校の昼休みの校内放送でも流れたことがあり、その時も特徴のはっきりした印象に残る演奏だなと思いました。ところどころに性急なものを覚えます。この人のベートーヴェンの曲の演奏の仕方は徹底して同傾向です。(但し、ブラームスの交響曲の演奏では、テンポが意外とゆったりとしていて、響きも重厚感のあるものになっています。)
カラヤン/ベルリン・フィルの最初の録音(1962年)も、この曲を聴く上で何の不満のない、いい響きになっていると思います。
古楽器による演奏の代表として、エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティクの1994年の録音を聴くと、第1楽章はトスカニーニを髣髴とさせ、実際はトスカニーニより速く、音をたたみ込むように進んで行きますが、第2楽章はテンポを動かしながら表情を大きく付けていたり、第3楽章以降はアクセントの付け方に聴きなれないものがあったりして、いかにもオーソドックスな部分とユニークな部分が混在した演奏という印象があります。

Photo_2 しかし、「ベートーヴェンを聴いた」という満足感を一番与えてくれるのは、フルトヴェングラー指揮/ウィーン・フィルによる1954年の録音です。フルトヴェングラーのベートーヴェンの演奏は重過ぎると感ずることが多いのですが、第5番に関してはその様な印象はなく、私にとって、すべてがベートーヴェンの音楽、ベートーヴェンの響きになって聴こえて来ます。よく聴くと、音に芯がなくなっているような、おかしな擬似ステレオ処理も、ここではあまり気にならず、聴きやすさにつながっていて、モノラル盤よりも擬似ステレオ盤を聴くことが多くあります。フルトヴェングラーには、ベルリン・フィルを指揮した演奏会での1947年5月録音のものもありますが、私には、表情が大袈裟になり過ぎているのが気になります。やはり、これは演奏会用の演奏なのでしょう。ですが、1954年録音に似た表現の箇所も多くあり、この指揮者が、自分なりのベートーヴェンの第5の解釈をしっかりと持っていたことが分かります。ベートーヴェンの他の交響曲では必ずしもフルトヴェングラーの演奏録音は多く聴かないのですが、第5だけはフルトヴェングラーで聴くと収まりがよく感じ、私のファーストチョイスになっています。

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バッハの「ブランデンブルク協奏曲」と「管弦楽組曲」:ネヴィル・マリナーとサーストン・ダート

Photo 私の愛聴盤の一つが、ネヴィル・マリナー指揮/アカデミー室内楽団が1971年に録音した、バッハのブランデンブルク協奏曲です。音楽学者でチェンバロ奏者でもあったサーストン・ダートの助言を採用して演奏がなされたものです。私が就職して間もなく、聴くことなしに演奏家の名前で決めて、同僚の結婚祝いに買って贈ったのが、このLPで、同僚の家で一緒に聴いた時、演奏のあまりの素晴らしさに、会話を忘れて聴いたことを思い出します。

その後、それが誰の演奏だったか記憶が曖昧になり、20年ほど経った頃に幾つか探した後に見つけたのが、この演奏録音でした。その時のものと何故わかったかというと、リズムの取り方に強調があって全てが生き生きとした躍動感溢れる演奏であることと、第2番でトランペットの代わりにホルンを使っていることです。多分、先の同僚宅では第2番を聴いたのでしょう。管の響きが何となく記憶に残っていました。

一頃、ブランデンブルク協奏曲の演奏録音を多く買い求めていた時期がありましたが、結局、このマリナー達の演奏に戻ってしまいます。マリナーはこの録音の後に再録音しているのですが、やはり1971年録音の方が演奏がすっきりとしていて、しかも生きる喜びが伝わって来るような魅力があります。編成は少人数ですが、ソロをとっている方々は、皆、大変な名手で、これがこの演奏の素晴らしさにつながっていると思います。第2番では、例のホルンはバリー・タックウェル、リコーダー:デイヴィッド・マンロー、ヴァイオリイン:アイオナ・ブラウンの名前があり、そして、チェンバロは、第1楽章のみ、サーストン・ダートとなっています。録音は、1971年1月30日~2月12日となっており、同じ年の3月6日にサーストン・ダートは癌のため49歳で亡くなっています。ダートは第3番を録音し、第2番と第4番のそれぞれの第1楽章を録音した後、倒れたようです。最後の力を振り絞って録音に参加しておられたのだと思います。LPジャケットには、ネヴィル・マリナーと共に、サーストン・ダートの名が書かれています。

Photo_2 サーストン・ダート自身がフィロムジカ・オブ・ロンドンを指揮したブランデンブルク協奏曲の演奏録音が残っています。録音時期のデータが書かれていないのですが、ほんの一部に擬似ステレオ化された部分を含みますが、綺麗なステレオ録音になっていますので1960年の少し前あたりの録音ではないかと思います。こちらでは第2番は通常通りトランペットが使われています。ソリストの名では、チェンバロを除いて、オーボエのニール・ブラックだけが上記のマリナーのものと共通しています。珍しいところでは、第6番で、ヴィオラのセシル・アロノヴィツの名が見えます。演奏は、リズムの刻み方がマリナーのものとよく似ています。テンポもほぼ同じように思いますが、第2番の第1楽章は、ほんの僅かだけ速く感じます。マリナーのものと同様、楽器の数が少ないのですが、こちらの方が、より素朴な印象があります。演奏の出来という点では、マリナー達の方が良いように感ずるのは、マリナーの方のソリストが、それぞれとても表情豊かだからと思います。

Photo_3 数年前、偶然、中古CD/LP店でサーストン・ダートが指揮しているバッハの管弦楽組曲のLPを見つけました。それも、一度に4曲全部が揃った訳ではなく、二度目は意識して探しまして見つけましたが、元々そう出回っているものではないので、幸運でした。もっとも、元の持ち主は同じで、店頭に並ぶ時期がずれただけかもしれません。モノラル録音で、雑音もありますが、演奏はさすがにサーストン・ダ ートのものだけあって、生き生きした感じがよく伝わPhoto_6ってくる好演奏です。この曲自体、私は必ずしも好んでよく聴く訳ではありませんが、ダートの演奏は、繰り返し聴きたくなるような魅力があります。フルートソロはリチャード・アデネイで、ダート指揮のブランデンブルク協奏曲の録音にも参加しています。
こうなると、ネヴィル・マリナーの指揮する管弦楽組曲も聴きたくなる訳で、中古LPで早速入手しました。チェンバロはサーストン・ダートが演奏しています。録音時期のデータが書Photo_4かれていませんでしたが、1960年代であろうと思います。演奏は、意外なことに、サーストン・ダート指揮のものとは印象が随分異なっています。リズムの刻みが緩く、あまりリズム感を強調した印象がありません。これは、1985年にマリナーが再録音したブランデンブクル協奏曲の演奏から受ける印象に近いものがありますので、これが本来のマリナーの演奏スタイルなのかもしれません。

ネヴィル・マリナー指揮/アカデミー室内楽団が1971年に録音した、バッハのブランデンブルク協奏曲は、病のため体力が衰えていたサーストン・ダートに代わって、ネヴィル・マリナーが指揮して録音したものだったというのが本当のところではないかと思う次第です。人と時とがある瞬間に結びついて、状況とは裏腹に素晴らしく生命力に溢れた音楽が演奏され、録音に残りました。バッハの曲の素晴らしい演奏録音を残してくれたサーストン・ダートのことを偲び、改めて以上の演奏録音を聴きました。

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ベートーヴェンの交響曲第4番:ワルター/コロンビア交響楽団、他

ベートーヴェンの交響曲第4番は、やはり中学生か高校生の時に、ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団のLPで聴き続け、その後、他の演奏を聴くことがあっても、特に不満も違和感も無く、この曲を聴こうと思った時には、ワルターのもので聴いて来ました。従って、交響曲全集として買ったのを別にして、単品でこの曲の演奏録音として入手したのは、ワルター以外では、長いことクリュイタンス/ベルリン・フィル、トスカニーニ/NBC交響楽団の2種類のLPだけでした。そして比較的最近に、ケルテス指揮、バンベルク交響楽団のものをCDで入手しています。

第1楽章:アダージョ(ゆるやかに)、アレグロ・ヴィヴァーチェ(はなはだ急速に)
第2楽章:アダージョ(ゆるやかに)
第3楽章:メヌエット:アレグロ・ヴィヴァーチェ(はなはだ急速に)
第4楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ(速く、しかし過度でなく)
第8番とともに、独創性溢れる交響曲の中にあって、作曲家が自らの精神的バランスを取るために作ったような観のある曲です。

Photo_2 ワルターの演奏録音は、当時、レコードの紹介本で推薦になっていたもので、なけなしの小遣いで購入する身にとっては、それを拠りどころとして最善の買いものであろうと思って入手したものです。残響の多いステレオ録音で、低音がよく延びており、当時のステレオ装置でも、気持ちよく鳴っていました。元気の良い部分が多く含まれているので、若かった小生も、楽しく聴くことが出来ました。今、その時のLPを聴くと、奥行感のある好録音であることに改めて気付きます。演奏は生き生きとしており、当時、推薦盤となっていたことも頷けます。第9番を除いて、一連のべートーヴェンの交響曲の録音を1959年の1月から2月に掛けてロス・アンゼルス行っていますが、第4番はそれらの中の最後の録音となっています。ちなみに、次のような順番で、各交響曲が録音されています:1、8(途中で2)、6、3、5、7、4。そして、跳んで4月に第9番をニューヨークで録音しています。

01 敢えて演奏比較をしたいとは思いませんし、続けて繰り返し聴くほど、この曲が大好きという訳でもありませんが、最近入手し、今回、改めて聴いてみたものを追加でご紹介しようと思います。ケルテス指揮、バンベルク交響楽団、1960年頃の録音です。44歳で亡くなった、この才能溢れる指揮者が残した貴重な録音です。2種類のCDを持っていますが、響きに大きな差があり、オリジナルのマスターテープからの復刻と謳われているCD(写真)の方が明瞭な良い響きで、まるでウィーン・フィルかのような、独特の明るさがあります。演奏は、この指揮者らしい、キチッとしたリズムに乗って、それぞれの音が息づいて奏でられています。sawyerさんご指摘の箇所を聴く限り、この演奏はワインガルトナー版を使っているように思われます(一方、前出のワルターは原典版のようです)。ケルテスのベートーヴェンの交響曲の録音は、バンベルク交響楽団との第2番、第4番のほかは、NHK交響楽団との第7番(DVD)を持っています。現在入手可能なケルテスのベートーヴェンの演奏録音は、以上のほかは、いくつかの序曲、ピアノ協奏曲第3番、三重協奏曲で全てではないかと思います。

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地元のピアノ演奏会:溢れる才能

今日、日曜日の午後、我が家から車で15分の所にあるホールで、地元のピアニスト複数による演奏会があり、行って来ました。まあまあの入りで、私は前列の真ん中に陣取りました。演奏中、周りで小さな子どもが話したり、年配の方が鈴の付いた袋を動かしたり、気にし始めたらキリがない状況の中ではありましたが、概ね演奏を聴くことに集中出来ました。

海外でも研鑽を積んだ方が複数いて、レベルの高い演奏が続きました。その中の一人が、5年ほど前にこのホールで我が家の次男の歌の伴奏をしてくれた若い人でした。当時から、このピアニストの才能は高く評価されていました。大学院を出た後、さらに研鑚を積んでいたのですが、今は主に地元でピアノ教師をしているようです。今回、2年ぶりに聴きましたが、相変わらず凄いピアノを弾いていました。ピアノの音が立っていて自分の音を持っており、表現の幅が大きくて広く、共演した他のピアニストとは次元の違う音楽空間を作っていました。このような人が、こんな田舎で埋もれていていいのだろうかと思った次第。

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